コラム

第111話 骨肉腫珠子の悲しい生涯 その2 根拠のなく運命だととらえて賭けに出る

私も単なる猫好きで、猫を飼うにあたってはペットショップで買うのではなく、保護猫の里親になるだけで充分な動物愛護だと思っており、2011年2月に龍馬と凜子の里親になり、楽しく猫との日々を楽しむはずだった(第1話第2話第3話)。ところが、その後しばらくして、自分の不注意で龍馬を脱走させてしまい(第5話から第22話)、その捜索中に沢山の野良猫に出会い、悲惨な現実を知ってしまった事をきっかけに、ボランティア活動を始めることになった(第23話から第110話)。主な活動は野良猫の避妊去勢手術、子猫や人馴れした成猫の保護、譲渡、具合の悪い猫への投薬、治療など。その中で遭遇した様々な事件を書き綴ってきた。

時は2016年3月。前述の猫道(第28話)の餌場で具合の悪そうな猫がいると餌やりのイチゴさん(第29話)から連絡が入る。行ってみると、胸元に大きなテニスボール状の腫瘍を抱えているように見えた猫がうずくまっていた(第110話)。口内炎もあるらしく、時々ご飯を食べなくなると餌やりさんが言う。そのたびに抗生物質を病院で処方してもらい、餌やりさんに渡してきた。
気になって仕方なかったが、うちにはもう保護してやれるスペースもなく、看病してやれる時間もない。病院で治療だけでもと思うが、その後のことも考えなければ手は出せない。写真を撮り、獣医さんに見てもらったりしたが、やはり今後どうなるのかは診察してもらわなければわからない。治療がどのくらい長くかかるのか、いくらなのか、その後治るのか治らないのか、治らなくて病院で診取ってやることになるよりも、治ったらどこでどうしてやれるのかの方がもっと悩む。治ったからといって、数カ月室内にいた猫をまた外に戻すことは到底できない。

悩みぬいて数カ月経過し、時は6月となり連日暑くなってきた。このままだとそのうち、炎天下で干からびた死体が発見されるということになるのではないかと思うとぞっとした。どれだけ考えても答えは出ない。かといって、仕方ないね、と忘れることもできない。
先輩ボラさんが言っていた。気になった者の負けなんだと。
まさしくその気持ちが痛いほどわかる。仕方ないね、と受け流せる自分であったらどんなに楽だったことか。受け流せず気になって仕方無く救いに行く、すなわちそれは負けなんだと。
正しいことをしているのに負けただなんて思いたくはなかったが、余りにも知らん顔できる人が多すぎて、それができない自分の方がおかしいのではないかと思ってしまうことも多々ある。
実際体験した人でないとわからないであろうが、もうキャパ一杯なのに、それでも救いに行かざるをえないのは、正義感とか愛情とか、もはやそんな美しい言葉で語れる状態をとっくに私たちボランティアは超えてしまっている。そう、負け、という敗北感でしかないのだ。今、このコラムを読んでうなずいてくれているのは、きっと限界を超えても保護活動に奔走せざるをえない体験をした人だろう。

私は運命を信じるところもある。きっと珠子は私に救われるのを待っていたのではないかと思った。どんな運命かわからないが、私に救ってやれるから、神様は私に珠子を出会わせたのではないかと。
そう思ったというより、思わないと動けなかったから、そう思うしかなかったのかもしれない。
私が救えるということはどういうことなのかをよくよく考えると、飼ってやれるわけではないので、この子は助からない、もう余命いくばくもなく、私が治療費を支払ってやるだけで、病院で苦しみをとる治療をし、安らかに寿命を迎えるという悲しい筋書きか、あるいは深刻な病気でも何でもなく、すぐに元気になり、また外猫として生きていける…か?いやいや、それはあり得ないだろうな、元気になったとしても、一度この手で救い上げた猫を再度外に放すということはこれまでしたこともないし、出来そうになかった。では、元気になってすっかり人が変わって、いや、猫が変わって、ゴロスリ猫になり、奇跡的に里親さんが見つかる…?いやぁ、不細工で人馴れもしていない珠子にそんなシンデレラストーリーもあり得そうにない。

何がどうなるのか全くわからないなかで、何の根拠もなく、私が救う運命、私に何とかできるはず、という恐ろしい賭けに出ることにした。
続く。

コラムニスト:Candy (キャンディ)
ネコジルシ:保護猫日記
猫の里親募集:大田区の虎徹 コテツちゃん

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